【社会人留学】留学の決意から合格までの11カ月を振り返る

Last Updated on 2025年7月1日

新卒から15年以上従事したサラリーマン生活にピリオドを打ち、2025年9月から海外の修士課程に進学します。

今回はなぜこのタイミングで留学することになったのか、また合格までの紆余曲折を残します。


留学を決意する(2024年8月)

「不惑」ということばに惑わされる

きっかけは単純で、ある種の危機感を抱いたことが大きな理由です。

仕事もプライベートも充実感があったものの、ある日、20代の頃の手帳を読み返した時、将来は手に職を付けて自分の力で生きたいと考えていたことを思い出しました。一方、40歳近くにもなって未だに何のとりえもないこと、周囲の目を気にしながら生きていること、また、いつか海外に住みたいと思っていた気持ちにすっかり蓋を閉めていたことに気づきました。

今後役職が上がるにつれ、組織の一員としての態度が一層求められます。そうなると長期での休暇取得など自分の都合を優先するのが難しくなる。これから退職まで海外で生活したい気持ちに蓋をし、鍵もかけなければならないか…。それではいつか後悔すると痛感しました。そこで一念発起し、退路を断ってフランスへ行ってみようと決意しました。

 

語学留学か、趣味を仕事にする留学か

最初はぼんやりとパリで語学留学しながら海外生活を楽しもうと考えていました。もしくはフランスの食文化に欠かせないワイン関係のスクールに通うのも面白そう。しかしここで学びたいと思えるスクールには出合えませんでした。

それよりももっとしっかり腰を据えて学問に没頭し、学位を取りたいという欲がじわじわ湧いてきました。

今まで趣味の範疇で学んできた茶道や肩書ばかりのワインエキスパート、日本の通訳ガイドの資格や知識を活かしてキャリチェンジできるのではないか?そう考えた時、経営学、とくにアントレプレナーシップの領域がすとんと腑に落ちました。

よし、経営学分野の修士号を目指してみよう。

ここから本格的なリサーチがはじまりました。


情報収集とプログラム選定(9月〜10月)

情報収集と留学フェアをきっかけに、MBAも視野に

フランスの国立大学への出願受付はちょうど10月にはじまります。

このタイミングで行われていたフランス政府留学局(キャンパスフランス)の留学準備セミナーに参加したり、各大学の公式ウェブサイトで情報収集をし、気になるプログラムをリストアップ。

そんな時、キャンパスフランスのSNSでフランスを含めた留学イベントの開催を知り、参加してみることにしました。

 

留学フェアへ

参加したのはイギリスの大学評価機関QSが主催の大学院・MBA留学フェアでした。会場はMScとMBAに分かれており、スクールごとにブースが設けられていました。

留学を決意した当初はMBAはハードルが高くて受験するなど念頭にありませんでしたが、せっかくなのでブースの個人面談に話を聞いてみることに。

しかしこれを機にMBAにも興味を持ちはじめました。というのも最初に面談したビジネススクールの担当者やOBがとても気さくで授業の内容もアントレプレナーシップのプログラムが充実して面白そうだったから。また、合格のチャンスもありそうだと安易に考えてしまいました。

話を伺った2校はTOEFLやIELTSの受験経験はなくともTOEICのスコアが認められる(ただし850点以上)スクールだったこと、またクラスメイトの平均年齢がover30と思った以上に高かったことから、MBAにも挑戦してみようと決意しました。

 

国立大学院とビジネススクールという、異なるアプローチの2本立てを狙うことになりましたが、この時既に10月下旬で、残された時間はありません。

 

「英語が苦手な私でも行けるのか?」の壁

TOEICだったら大丈夫とはいえ、最後にTOEICを受けたのは10年以上も前のこと。

最短でスコアが採れることを念頭に、リクルートの「スタディサプリ」のTOEIC対策講座の受講を開始。勉強はこのアプリ一択で猛勉強を開始しました。

その間、以前応募していたフランス語のスピーチ大会で決勝に進むことに。英語とフランス語漬けの厳しい日々が続きました。その時、決勝の辞退という考えはなく、今思えば私、よく頑張った。

 

短期集中型のMBA対策(11月〜12月)

TOEICとGREとの格闘

フランスのMBAでは他国同様、GMATもしくはGREも求められます。12月半ばまでTOEIC対策に特化しつつ、GREの準備も開始。お金がないので独学以外の選択肢はありません。

とはいえTOEICとGREは全く異なる試験で、同時並行はかなりの負担です。

IELTSやTOEFLで英語の基盤をしっかり固めてきたならなおさら、十数年ぶりに英語学習を開始した身には、初めは問題の意味すら理解できませんでした。

中学数学さえつまずき、何度も自信喪失し、しまいにはダウン。それでも年末に有給休暇を取得し、年末年始は1日10時間ほどGRE対策に費やしました。

 

出願書類とインタビュー準備

スコアメイクの傍ら、留学フェアで出会ったカウンセラーに伴走をお願いし、CV(履歴書)の作成とエッセイやインタビューの準備としての自己分析をはじめました。

12月に入ってからオンライン英会話サービス(Bizmates)で英会話の練習もはじめました。

 

出願と面接(12月~3月)

MBA出願

スコアメイクは十分ではありませんでしたが、留学フェアで面談したビジネススクールのMBAプログラムに出願しました。

GREもインタビュー対策も中途半端な状態でしたが、早期出願割引を受けるためにとりあえず手を挙げるという、今思えばチャレンジャーな決断です。出願に必要な書類は提出したものの、英語力不足への恐怖からインタビュー日を何度も延期し、最初のインタビューは年明けに受験しました。

MBAインタビューと合格通知

最初のインタビューでは自分でも何を言ったか分かっておらず、もう合格することはないと思いました。しかし予想は外れ、無事に審査が通り、2回目の(最終)インタビューに応じることに。

この時の面談相手はアジア系のOGで、インタビュー後、ご本人も受験時は私くらいのレベルだったとこっそり話してくれました。私の英語は相当に分かりにくかったのかもしれません。

この学校からオファーをいただきました。おまけに奨学金付です。

通知を受け取った時、合格の実感はまったく湧きませんでした。

 

国立大学院出願

時系列が前後しますが、MBAと平行して1月末に国立大学院の修士課程プログラムに出願しました。

経営学のアントレプレナーやイノベーション領域を中心に絞ろう…と思っていたのですが、興味本位で見つけたワイン醸造やワインツーリズムのほか、当時の仕事につながる公共政策系のプログラムも捨てきれず、併願することに。

10月頃から志望理由の執筆が必要なことを分かっていながらも後回しにしてしまい、MBAの1回目のインタビューを終えてから、残された時間はわずか数日。結局、志望理由書の作成を含め、全ての出願手続きを終えたのは〆切当日でした。

 

国立大学院面接

面接の応対者は各大学院ではなく、東京・飯田橋の日仏学院内にあるキャンパスフランスでした。面接の相手はオンラインセミナーなどで見かけた日本人スタッフの方でした。

フランス語はたどたどしかったかもしれませんが、想定質問と回答はMBA対策でしっかりやっていたことが功を奏したか、大きな不安はありませんでした。

 

選択と決断の春

結果通知と現実の壁

国立大学院からはゴールデンウィークの直前に合格通知が次々とやって来ました。

希望したアントレプレナー系のプログラムは不合格でした。不合格の理由は「受験生が多かったため」としか書かれていなかったのでふるいに落とされた理由までは分かりません。でも、大学の方はアカデミックなバックグラウンドが重視されているようで、経歴に一貫性がないと門戸は狭いと思われます。

一方、キャリアや実績がプログラムの内容に関連のあるプログラムからは合格をいただきました。 

 

最終的にMBAを選択

合格したマネジメント以外の分野もとても魅力的で選択に迷いが出ましました。

予想外にもオファーを頂いたMBAの場合、留学後の後のキャリア構築に積極的な姿勢を示せる学位に感じたこと、また見識を広げ、自分の志向や可能性を客観的に捉え直すには最適な場所だと考え、取得を決意しました。

ちなみに、私は若いころから日本の伝統文化に親しんでおり、教授資格を持っていますが、今は宝の持ち腐れの状態です。長い年月をかけて身につけた特技とMBAの学びを掛け合わせて事業を起こし、いつか日本と海外をつなげられるようなことができないか、模索中です。

 

留学準備で気づいたこと

留学準備を通し、ふたつのことに気づきました。

「遅すぎる」は自分勝手な発想

準備を本格的にはじめたころ、壁にぶつかるとすぐに「もっと早くに決意できればよかったのに」「レールから外れてしまった、もう終わりだな」と何度も思いました。

でも、自分の殻を破って実際に行動してみると、物事の解像度がより鮮明になり、また、予想外の出来事に遭遇します。

そして、本当にいろいろな人のいろいろな境遇を垣間見、自分の考えがいかに狭いかを痛感することができます。

まずは行動に出ることの大切さをこれからも忘れないようにしたいです。

 

すべての経験は武器になる

インタビューやエッセイ対策のために行った自己分析の時間はとても有意義だったと思います。

自分の業績は大したことがない、何も実績がないなんて自分では思っていたとしても、一歩外の世界に出てみると、案外特殊なことをやっていたと気付くことがるかもしれません。

自分の人生を振り返る作業は決して楽しいものばかりではありませんでしたが、この作業のおかげで今まで自分が見えていなかった部分を発見し、やりたいことの解像度がより上がり、そして何より自分のことを多少なりとも語れるようになりました。

 

おわりに 「やる」という決意と準備

社会人留学において一番大事なのは、行動に出ることだと思います。「やってみたいなぁ」と思っているだけでは、1、2年なんて本当にあっという間に過ぎてしまいます。

また、限られた時間と体力の中で、最大限効率的に準備すること。早めの情報収集、必要書類準備など、「今できること」を積み重ねることが結局は何よりの近道です。

また、これまでの経緯で書きましたがが、公立と私立学校のダブル受験やその間のスピーチコンテスト決勝大会への参加など、やりたいと思ったことは全部挑戦しました。

年齢や環境を言い訳にせず、思い立ったときに一歩踏み出すこと。

何歳だろうと自分がやりたいと思えば、その目標はもう達成しているようなものです!

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