禅体験のすゝめ

Last Updated on 2025年8月5日

2025年7月、京都府亀岡市の山あいにある宝泉寺禅センターにて禅修行を体験してきました。

高台の深い緑の中にひっそりと佇むこの禅寺は、日常を離れ、静かに自分と向き合うには理想的な環境でした。

結論から言うと、日本を発つタイミングで禅修行をしてよかったです。

なぜお寺へ?

近年、matcha”や”zen”といった日本語が海外で日常的に使われるようになりました。

フランスのアカデミー・フランセーズという学術団体のオンライン辞書にもzenは載っています。

最終閲覧日:2025年8月5日

ZEN(大まかな訳)

語源:19世紀。日本語の単語で、中国語のchan(「静けさ」を意味する)の転写であり、その中国語はサンスクリット語の「ディヤーナ」(「瞑想」を意味する)から借用されたもの。

  1. (名詞)12世紀に日本へ伝来した中国仏教の一派。信奉者は、特に座った姿勢での静かな瞑想の実践を通じて悟りの境地を目指す。禅の原理は師から弟子へ直接伝承される。禅は日本の芸術と文明に深く影響を与えた
    (形容詞)例:禅の寺。禅の庭。
  2. (形容詞:俗語的に)冷静で穏やかな人を指す。例:討論の司会者は冷静さを保っていた。(発展形)例:禅の雰囲気。

説明は非常に抽象的な感じがします。

「結局、zenって何」と聞かれたときにどう答えよう。

実際にやってみない分からないと思い、体験してみることにしました。

修行場について

今回入山したのは臨済宗天竜寺派の宝泉寺内にある禅センターです。

京都府亀岡市街を一望できる高台に佇む場所にあります。

「禅センター」といえど、禅堂と呼ばれる比較的新しい宿泊施設兼道場やログハウス風の建物があることを除けば、田舎の山あいにあるお寺と大きな違いはありません。

センターの特徴

以下、太字の部分はウェブサイトの抜粋です。

いつからでも都合の良い日程で
修行は一年中行われており、修行日や修行期間は自由に設定できます。

長期の修行が可能
基本は3泊4日ですが、1月以上滞在している人もいました。宿泊を兼ねた禅修行ができるお寺は意外と少ないです。

初心者にも丁寧に指導
坐禅の仕方、作法、修行の心構えをわかりやすく指導してくれます。実際、十数人が修行に来ていました。リピーターの方が何名かいたものの、私のようにはじめて坐禅をされる方がほとんどでした。

メリハリの効いたスケジュール
起床から午前中にかけてしっかりと修行をしますが、昼食後から午後にかけての約4時間程度は、外出可能な自由時間となります。夕方から再び坐禅を組むというリハリの効いたスケジュールになっています。

心理相談室併設
こちらの和尚さんは変わった経歴の持ち主で、30代で脱サラしてアメリカの大学院に留学(この話を聞いて勝手に親近感が湧きました)、さらに臨床心理士資格をお持ちです。私は受けませんでしたが、1回40分3000円にて心理カウンセリングを行っており、毎日誰かしら相談室にいらっしゃりました。

スケジュール

私が滞在した時の大まかなスケジュールです。真夏日ということもあり、朝から午前にかけて集中的に禅を組む日課となっていました。

1日の流れ

5:20 開静(起床)
5:35 八段錦 (太極拳) ・随意坐(立ち坐禅)
6:00頃 小坐禅
6:20頃 粥座 (朝食)
7:20頃 日天(代謝を整える運動)
7:45頃 朝課(掃除)
8:00頃 作務(動く坐禅)
10:00頃 読経
11:00頃 坐禅
11:30頃 斎座(昼食)
12:00頃 自由時間
16:45 小坐禅
17:00 薬石(夕食)
18:10 法話
18:45 坐禅、仏教聖典拝読
20:40 茶礼(歓談)
22:00 開枕(消灯)

暑い時期は外での活動時間が限られているため、午前中のスケジュールが変動します。

スケジュールの詳細は公式ウェブサイトで写真と一緒に紹介されているので、気なる方はぜひのぞいてみてください。

禅体験で学んだこと

正直、数泊の禅体験で禅のことが理解できたとは思えません。

しかし、禅僧たちの規律正しい生活の実践や「楽」に案じない考え方はに世界に誇るべきものがあり、また、自分自身の今後の生き方にも積極的に取り入れていきたいと思いました。

お寺で学んだことのいくつかをご紹介します。

日常の小さな心掛けが、いつか大きな結果を生む

禅の修行をするうえで大切なことのひとつが「作法」です。

常住(世話係)さんは正直、いつもいちいち厳しくて不貞腐れそうになりました。特に眠気の残る朝ごはんの時。

しかしこの作法というのは、長い間禅僧たちが積み上げてきた合理的な行動であり、禅宗の宗教体験でもあります。

日本語には「型にはまる」という言葉があります。

最近はネガティブに捉えられることもありますが、この「型を守る」ことは自分の中にあるエゴに打ち克つことであり、物事のを身につけることでもあります。

さらに「守破離」という言葉がありますが、「型」がしっかり身についているからこそ応用が効くという考えです。

「作法」だけでなく日常にある「面倒な」ことに耐えることで、それがいつか習慣となり、今よりも高いところから物事を捉えることができるようになるのではないかと思いました。

資源を大切さを実感する

少ないもので生活していると、人が生きるのに必要なものはそう多くないことを実感します。

というのも、多くのものは共有や再利用が可能だからです。

例えば、洗剤

私たちは日々、食器を洗ったり、洗濯をしたり、また顔や体を浄めるためにさまざまな洗剤を使用していると思います。

しかし、お寺には本当に最小限のものしか置いてありませんでした(持込みや使用が禁止されているわけではありません)。

食事に使う持鉢(お椀と箸)の洗浄は原則、1碗分のお湯とたくわんで完結します。

ご飯の椀、みそ汁の椀、おかずの椀がありますが、ご飯の椀に入れたお湯を交互に使ってたくわんで清め、残ったお湯は捨てずに飲み干します。お皿の洗浄はこれで終わり。

はじめは気持ち悪く感じましたが、毎回これを繰り返していると、とても合理的な考えだと思うようになりました。

そして、

水の存在はこの修行中にあらゆる場面で登場することになりますが、私が一番印象に残ったのは体を洗う時にいかに水を無駄にしていたかということ。

室内は空調が聞いているので汗が出てくることはあまりありませんが、朝、外での日天や作務は汗をかき、また、体力も消耗します。

午前中は太極拳や坐禅、読経など様々な修行を行いますが、汗をかいたからといって毎度化粧直しをしている時間はありません…というよりむしろ修行中の化粧は許されません。

午前中の業水(水のみ浴びて汗を流すこと)を除き、シャワーは1日1回、ドライヤーを使う時間を含めて30分までと決まっているので、トリートメントなどしている時間もありません。また、浴室は蒸し暑すぎてドライヤーで髪を乾かすことができません。

そうなるとお湯の代わりに冷水に近いぬるま湯で髪をシャンプー。

化粧をしないのでクレンジングの必要はなく、髪以外の全身を石鹸で洗って完了。

体が冷えているうちに地肌にだけドライヤーを当てて終わり、というシンプルな開浴(入浴)スタイルが生まれました。

ちなみに私は荷物が多いわりにタオルはハンドタオル1枚しか持ってこなかったのですが、濡れてしまったら絞ればよいという発想から、さほど大変だと思わず済みました。

さらに、時間

時間は他のモノと異なり、全ての人に1日24時間が平等に与えられています。

しかし、使い方によっては貧しくもなるし豊かにもなります。

今回の修行では、デバイスから離れ、自我から離れることに多くの時間を割きました。その中で、目の前の「今」に集中することの大切さを実感しました。

 

禅は結局、語るものではなく、体験し、日々の中でにじみ出るものなのかもしれません。

あえていうなら、このブログのタイトル『Art de Vivre(生き方の美学)』にも通じる、「実践を通じた生き方」だと言えそうです。

束の間の体験で終わせらず、日常生活に取り入れていきたいです。

最後に 宝泉寺禅センターについて

宝泉寺 禅センター

費用 なし(寄付(目安) 修行3泊 12,000円+4泊目以降 1泊3,000円)

〒621-0825 京都府亀岡市篠町山本中条52

オフィシャルサイト:http://www.zazen.or.jp/

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